テストにおける「循環論法」 数学のテストにおける「循環論法」について

数学のテストにおける「循環論法」について

注意 定理の証明に公理を使う場合、そのことを必ずしも明示しないことに注意してください。 例えば、「その公理系における公理たちと定理1を前提にすると、定理2を導くことができる」ことを、「定理1から定理2が導ける」といったように略します。
ある大学の講義で小テストが返却されたとき、ある学生が採点結果について教員に異議を申し立てました。 答えられていると思った問題が不正解扱いされていたらしいのです。 その問題は定理Bの証明をせよ、というものでした。 教員の主張はこうです。 この回答は、定理Dを前提にして定理Bを導いている。 しかし、定理Dは定理Bから導かれるものだ。 したがって循環論法になっており、証明になっていない。 ちなみに定理Bも定理Dもそれまでの講義のなかで証明しており、その際は確かに定理Dの証明に定理Bを使っていました。 学生は不満気でしたが、明確な反論をできずにいました。 さて、この教員の主張は正当なものだといえるでしょうか? おそらく、数学(というより論理)をある程度わかっている人の多くは、直観的に教員の主張は正しいと感じるのではないでしょうか。 しかし話はそんなに単純ではありません。 まず、学生側にできる主張として、次のようなものがあります。 定理Dを使わずに定理Bを証明するとして、その際には他の定理を一切使わず、公理だけから証明しなければならないのか? 講義で定理Bを証明する際には、定理Aを使っていたから、定理Aから定理Bを導く回答は正解にするのではないか。 だとすると、同じ講義で証明済みの定理にもかかわらず、定理Aは前提としてよく、定理Dはだめだとするのは辻褄が合っていないのではないか。 これに対して教員側は次のように再反論するかもしれません。 講義で証明済みかどうかは関係ない。 定理Aを使った証明の場合、公理たち→定理A→定理Bという、この公理系において定理Bが証明できることを本質的に示すルートが存在する。 しかし定理Dを使った証明の場合、そのようなルートは存在しない。 本当にそうでしょうか? ※学生側に立ってさらに反論してみましょう。 定理Bを使わずに導けるCという定理があって、定理Cから定理Dが導けるので、公理たち→定理C→定理Dというルートが存在する、といったことがない、ということがなぜ言えるのか。 さらに教員側の反論。 たしかにそういうルートもあるかもしれないが、講義ではそのような証明はしていない。 そのようなルートが存在するというなら、それも回答に含めるべきだ。 学生側。 つまり、「講義で証明したルート」と「回答で証明したルート」をつなげると本質的な証明ができあがる、という状態なら正解になるということか。 であれば、公理たち→公理A→公理Bというルートは講義で証明済みなのだから、何も書かなくても正解のはずだ(もっと言えば、何を書いても正解のはずだ)。 ※のところでは次のようにも反論できます。 公理たち→定理A→定理B→定理D→定理Bというルートがあるではないか。 test-circulation.png赤い部分は講義で証明済み、青い部分は回答で証明 以上のように、「本質的に証明になっているか」という話と、「講義で証明したか」という話が絡んで、なかなか複雑な問題です。 厳密に言えば、テストがテストとしてwell-definedであるためには、公理以外に何を前提にしてよいかをすべて明記する必要があるわけです。