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「常識は正しい」という主張は正しいか

まず最初に、話の前提を整理しましょう。
世の中にある、ありとあらゆる「ものの考え方」を、次の2つの切り口で切り分けます。
(i)世間で広く正しいと信じられているか、間違っていると信じられているか
(ii)実際に正しいか間違っているか
そうすると、すべての「考え方」は、論理的に、2×2で、下記のように4つの場合に分けられることになります。
(1) 世間で広く正しいと信じられていて、かつ実際にも正しい
(2) 世間で広く正しいと信じられているが、実際には間違っている
(3) 世間で広く間違っていると信じられているが、実際には正しい
(4) 世間で広く間違っていると信じられていて、かつ実際にも間違っている。
では、このうち、空であるもの(つまり、その場合にあてはまる「考え方」が一つも存在しないもの)は存在するでしょうか?
厳密に言うとここだけは筆者の主義主張が入りますが、明らかにどれも空ではないでしょう。
つまり、「世間で広く正しいと信じられていて、かつ実際にも正しい」ような考え方は少なくとも1つは存在するし、「世間で広く正しいと信じられているが、実際には間違っている」ような考え方も少なくとも1つは存在するし、「世間で広く間違っていると信じられているが、実際には正しい」ような考え方も少なくとも1つは存在するし、「世間で広く間違っていると信じられていて、かつ実際にも間違っている」ような考え方も少なくとも1つは存在するでしょう。
くどいようですが、このことはしっかり強調しておきます。
さて本題です。
以上の前提に立った上で、「常識」とはどのような考え方を指すのでしょうか。
一つ目の定義として、
(a)常識とは、「世間で広く正しいと信じられている考え方」のことである
というものが考えられます。
つまり 常識=(1)または(2) ですね。
この定義の場合、端的に言って、「常識は正しい」という主張は間違った主張です。
「世間で広く正しいと信じられている」、という、「常識」の定義には(1)と(2)が該当しますが、(2)は「実際には間違っている」考え方であるわけですから、「常識」は必ずしも正しくありません。
ちなみに、この場合「常識は間違っている」という主張も間違った主張です。
「常識」の定義には(1)と(2)が該当しますが、(1)は「実際にも正しい」考え方であるわけですから、「常識」は必ずしも間違っていません。
「常識は正しい」のでも「常識は間違っている」のでもなく、「常識は正しい場合も間違っている場合もある」というのが正解です。
二つ目の定義として、
(b)常識とは、「世間で広く正しいと信じられていて、かつ実際に正しい考え方」のことである
というものも考えられます。
つまり 常識=(1) です。
この場合は、「常識は正しい」という主張はもちろん正しい主張です。
しかし、そもそも常識という言葉自体に「実際に正しい」ということが必要条件として含まれているわけですから、正しいのは当然です。
つまり、「常識は正しい」という主張は何も意味のある主張をしていないわけです。
以上を踏まえた上で、少し実際的な話をしましょう。
あるAという考え方が、世間で広く正しいと信じられているとします。
このとき、保守的な人がよくする主張に、「Aは常識なんだから、当然正しいに決まっている」といったものがあります。
(ア)Aは世間で広く正しいと信じられているので、常識である
(イ)常識は正しい
(ウ)したがってAは正しい
といったことが言いたいのでしょうが、ここまで読まれた方ならこれがおかしな論法であることはおわかりでしょう。
「常識」という言葉の定義が(a)なのであれば、(イ)が成立しません。
「常識」という言葉の定義が(b)なのであれば、(ア)が成立しません。
言い方を変えれば、(ア)を主張しているときは「常識」の定義として(a)を使い、(イ)を主張しているときは(b)を使うといったように、言葉の定義を都合よく変えているわけです。
要するに、この論法は、「常識」という言葉を二重定義(ダブルミーニング)にすることによって、話のすり替えをしているわけです。
何度も言っているように、「世間で広く正しいと信じられている考え方」には「実際にも正しい考え方」も「実際には間違っている考え方」も両方あるわけですから、Aという考え方が世間で広く正しいと信じられているという事実は、Aという考え方が実際に正しいということの根拠づけとしては意味を持ちません。
ちなみに、このような二重定義による話のすり替えは、「常識」という言葉によるものだけでなく、さまざまなものがあります。
たとえば、「伝統」という言葉や、その逆の「因習」という言葉は、
(i)客観的事実として、その慣習が長く続いているかどうか
(ii)その慣習が素晴らしいものであるかどうか
という2つの切り口で、上記と似たようなすり替えをするためによく使われます。
このようなすり替えに惑わされることのないように、また逆に自分が無意識のうちにこのようなすり替えをしてしまわないように、注意していきたいものです。