Komakuro

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日本の安全保障はどうあるべきか

改憲派と護憲派

現状での日本の政治思想の分布を見てみると、安全保障に対する考え方は、改憲派と呼ばれるグループと、護憲派と呼ばれるグループの2つに大きく分かれていると言っていいでしょう。
改憲派と呼ばれるグループは以下のような考え方を持っています。
  • 日本国憲法第9条は、日本が正式に軍隊を持てるように改正されるべきである
  • 自衛隊は軍隊ではないので、現状の憲法の下で保持していても構わない
護憲派と呼ばれるグループはその逆に、以下のような考え方を持っています。
  • 日本国憲法第9条は、堅持するべきである
  • 自衛隊は憲法9条に反した存在であり、廃止するべきである
しかし実際には、これらを「対立する2つの考え方」と見るのは、いくつもの切り口を混同してしまっています。
本稿は、直接的には、日本の安全保障に対する筆者の考え方を示したものですが、最も重視しているのは、その混同されがちな複数の切り口(論点)を、くっきりと切り分けて明示することです。
読んでいる途中で筆者とは考え方が違うと感じても、拒絶反応を示すのではなく、どの論点においてどのように考え方が違うのか、という点を意識して読み進めてみてください。

論点① 各国が軍事力を持つことは、世界全体にとって良い事か悪い事か

軍事力というものは、本質的には、他人の生命や財産を攻撃するためのものです。
したがって、ないに越したことはありません。
なぜなら、それによって人の生命や財産が失われる可能性が減るからです。
当たり前ですね。
その上、世界全体が軍事力を持たなければ、その分の生産力を、生産的なことに回せることになります。
当然、飢える人も減り、人々の生活は(少なくとも平均的には)豊かになることでしょう。
このように言うと、改憲派の人たちは、
  • そのようなことは現実的ではない
  • 他国に攻撃されたらどうするのか
といった反論をしたくなるでしょうが、この反論は論点①論点②を混同してしまっています。
そもそもこのような反論をする時点で、ある種の仮定をしていることに注目してみてください。
おそらくあなたは、日本の総理大臣でもなければ、世論を大きく動かすようなとんでもない影響力を持った人でもないでしょう。
その意味では、「日本が他国に攻撃されたらどうするべきか?」といった議論をしても、意味のない机上の空論であるはずです。
それではこのような議論をしても無意味なのでしょうか?
もちろんそんなことはありません。
実は、私達がこのような議論をする時は、(この場合は)仮に日本の国家としての行動をコントロールできるとしたらという設定で議論をしているのです。
論点①においては、これとは異なる設定をしています。
もう一度論点を振り返りましょう。
各国が軍事力を持つことは、<b>世界全体にとって</b>良い事か悪い事か
つまり、ここでは世界全体がコントロールできるという設定で議論をしているわけです。
世界全体がコントロールできるなら、世界中から軍隊を無くしてしまった方がいいに決まっている、という単純な事を言っているに過ぎません。
もう一つ考えられる反論は、軍需産業は経済を大きく支えているのだから、軍隊をなくしてしまえば世界経済がガタガタになってしまう、という類のものです。
これは一理ある反論です。
確かに今この瞬間に一瞬で世界から全ての軍隊を消してしまえば、とんでもない混乱が起こるでしょう。
しかし、これは一時的なものに過ぎないと考えられます。
なぜなら、前述のように、軍需産業がなくなれば、その分の生産力が他のものを生み出すと考えられるからです。
もちろん、一時的な損失に過ぎないと言っても、そこで多くの生命や財産が失われる事は良い事ではありません。
しかし、このような混乱は、世界中の軍隊を一辺に消してしまう(そもそもこの仮定自体非現実的ですが)のではなく、徐々に世界中の軍隊を減らしていけば起きないものでしょう。
したがって、結論としては、世界中が徐々に軍縮を行い、最終的に軍隊がなくなることが理想である、ということが言えるでしょう。

論点② ある国が軍事力を持つことは、その国の利益のために良い事か悪い事か

他国の軍事力が変わらないなら、自国はより大きな軍事力を持っている方が、他国に対して優位に立てます。
したがって、注目しているある国の国益を考える場合、その国はどんどん軍事力を持った方がいい、ということが言えるでしょう。
このように言うと、護憲派の人たちは、
  • 他国にも軍事力を放棄させればよいではないか
  • 全ての国が軍事力を持たない理想を目指すべきだ
といった反論をしたくなるでしょうが、こういった反論は、やはり論点①論点①を混同してしまっています。
これらの反論は、自国に限らず、全ての国の国家としての行動をコントロールできるという仮定を前提にしたものです。
したがって、論点①で述べた、世界全体がコントロールできるという設定に基づくものです。
ところが、論点②での設定はこれとは違うものです。
もう一度論点を振り返ってみましょう。
ある国が軍事力を持つことは、その国の利益のために良い事か悪い事か
つまり、ここでは自国(注目している国)のみがコントロール可能で、他の国はコントロールできないという設定で議論をしているわけです。
言い換えると、以下の2つの場合を比較しているわけです。
  • 自国の軍事力が強く、他国の軍事力が現状のままである場合
  • 自国の軍事力が弱く、他国の軍事力が現状のままである場合
この比較においては、前者のほうが、自国が他国に対して有利になる、と言っているに過ぎません。
もうひとつ考えられる反論は、自国が軍拡をしてしまうと、それに応じて他国も軍拡をすることが予想されるため、結果的に自国も危険になってしまう、というものです。
これは一理ある反論です。
先に述べたように、軍事力で優位に立つことができれば相手国に対して優位に立てますから、基本的に多くの国が同じように軍事力を増強しようとします。
そうするとどうなるでしょう。
そう、世界中の国が、他国よりも大きな軍事力を持とうと、どんどんと際限なく軍事力を増強することになってしまいます。
これがいわゆる軍拡競争というものです。
しかし、ではどんどん軍縮をすればいいかというと、そういうわけでもありません。
他国が(先に)軍拡を行った場合は、自国も軍拡を行う必要があります。
くどいようですが、ここで言っている「必要がある」という言い回しは、その方が自国の利益に適う、という意味ですので注意してください。
以上から、結論としては、他国の軍拡を誘発しない程度に、どんどん軍拡を進めるべきだ、ということが言えるでしょう。

議論① 日本の軍事力はどの程度であるべきか

安全保障に関する議論のすれ違いの多くは、ここまでで見た、論点①論点②の混同によるものです。
つまり、基本的には、
  • 世界全体のためには、世界中から軍隊を軍隊をなくすべきである
    自国の利益のためには、軍拡を進めるべきである
となるわけですが、この2つの主張は全く矛盾しません。
そもそも全く違う土俵の問題であるわけです。
では、これら2つの論点を考えあわせた時、結論として日本の軍事力はどの程度であるべきでしょうか。
平和という世界全体の利益を目指すのか、それとも、自国の利益を守ることを考えるかというのは、非常に難しい問題です。
これは、どちらか一方だけを考えればよいというものではなく、バランス感覚が強く求められます。
まず、平和という世界全体の利益を目指す、ということだけを考えてみましょう。
世界中に軍隊のない、平和な世界というものは確かに理想です。
人類の到達地点として、最終的に目指すべき境地ではあるかもしれません。
しかし、現実には、あらゆる国家が軍隊という力を持っています。
論点②で述べたように、軍事力で優位に経てば、実際問題として、相手国の優位に立つことが可能だからです。
平和という世界全体の利益を目指す者が、あらゆる軍事力を放棄してしまえば(あるいは軍事力を持っていてもそれが小さすぎては)、大きな軍事力を持った、自国の利益だけを考える国家に優位に立たれることにもなってしまいます。
これは、世界全体にとっても良いことではないでしょう。
一方で、他国に対して優位に立てるからと言って、それでは自国の国益だけを考えてひたすら大きな軍隊を持つようにすればいいかというと、これもやはり危険な選択肢です。
論点②で述べたように、軍拡競争を誘発してしまうからです。
軍拡競争を避けるためには、世界全体で協調して、ある程度軍事力を抑えることを互いに約束しあう、といった工夫をする他ありません。
以上のように、世界全体の利益を考えて軍備を縮小する、自国の国益を考えて軍備を拡大する、どちらに傾き過ぎても良くないのです。
この2つの間で上手くバランスをとった、絶妙な軍事力を持つことを目指すべきでしょう。

論点③ 自衛隊は憲法違反か

現在、日本には自衛隊というものがあります。
一方で現在の日本には、憲法9条という、軍隊を持つことを禁止する決まりがあります。
以下にe-Govより憲法9条を引用しておきます。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
要約すれば、日本は一切の軍事力を持たないし、当然それを行使することもない、といったところでしょう。
さまざまな軍備を持つ自衛隊の存在は、当然、この条文に反しています
この自衛隊は憲法違反かどうかという議論は、これまで議論してきた、日本がそもそも(どの程度の)軍隊を持つべきかといった議論と、切り離されずに議論されがちです。
そのため、このように自衛隊の存在は憲法9条に反しているなどというと、改憲派の人は、「では軍隊はいらないのか?」と短絡的に反論してしまいがちです。
しかし、それはこの問題とは全く別の問題です。
純粋に自衛隊がどのような存在か、ということだけを考えれば、自衛隊は看板をかけかえただけの、明らかな軍隊です。
日本政府は、自衛隊は軍隊ではない、自衛隊は憲法違反ではないという憲法の解釈もできる、と主張していますが、これはまやかしでしかありません。
自衛隊は軍隊であり、日本は現在、憲法違反をしている状態にあります。

論点④憲法を遵守するなら、自衛隊を廃止するべきか

論点①では、上手くバランスのとれた、絶妙な軍事力を持つべきだと結論づけました。
一方で、論点③で述べたように、日本には憲法9条という、軍事力を持つことを禁止する決まりがあります。
では、改憲派の人々が主張するように、憲法9条を改正して、日本は正式に軍隊を持てるようにするべきなのでしょうか?
実は、事はそう単純ではありません。
なぜなら、憲法は最高法規です。
すなわち、それ自体を支配するルールの存在しない、一番上に立つルールです。
したがって、論点③に述べたように、そのルールに反している現状がある以上、その状態でルールの方を改正して現状に近づけてしまっては、なんのためのルールなのか、ということになってしまいます。
注意 最高法規ではないルールの場合、より上位のルールによって、そのルールを改正するルールが定められている場合があります。
この場合、上位のルールが遵守されていれば、下位のルールは、上位のルールの規定によって存在意義を持つことになります。
これは、筋論だけの問題ではなく、実際問題として、後々憲法違反を簡単にしてしまう先例になってしまう恐れがあるのです。
特に、憲法の安全保障に関する規定(憲法改正後の9条に相当するもの)に関しては深刻です。
そもそも軍事力を持つことを禁止している憲法のもとですら、軍隊を持ち、さらにそれを海外の戦地に派遣することまでやっているのです。
その状況で、憲法を、正式に軍隊を持てるようにしたらどうなるでしょうか。
護憲派の人々が主張するように、軍事国家への道が待っているのではないでしょうか。
要するに、単純に憲法改正をしただけでは、憲法が歯止めとしての意味を持たなくなる可能性が大きいのです。
それでは、逆に現状の方を改めて、憲法9条にしたがって自衛隊を廃止するべきでしょうか。
憲法というものの存在意義から言えば、実はこれが正解なのです。
こう言うと、改憲派の人々は「そんなことは非現実的だ」と言いたくなるでしょうが、何度も述べているように、それは全く別の問題です。
既に議論①で述べたように、全く軍隊を持たないというのは非現実的だ、という主張は全くその通りです。
しかし、今は憲法を遵守してその意義を守るという仮定のもとに議論をしているのです。

議論② 憲法9条を改正するべきか

論点③では、自衛隊は憲法違反であると述べ、論点④では憲法遵守のためには自衛隊を廃止するべきだと結論づけました。
では、実際に自衛隊の廃止を実行に移すべきでしょうか?
議論①で述べたように、それは非現実的であると言えるでしょう。
しかし、単に憲法を改正するだけでは、議論④で述べたように、憲法遵守の精神が減退してしまいます。
それではどうすればいいのでしょうか?
一つのアイディアとして、まず、現状において憲法違反をしているということを日本政府が公に認めるというものがあります。
議論④で述べた、憲法遵守の精神が失われる危険性というのは、現状において憲法違反をしている事を認めないために大きくなっていると考えられます。
憲法違反をしている現状を無視して、憲法を軍拡寄りに改正することに問題があるわけですから、一度憲法違反をしていることを認めてしまえばいいというわけです。
つまり、憲法違反をしていることを認め、これに対して真摯に反省をするというステップを踏むことで、後々野放図に憲法を改正することへの抑止力とするわけです。
もう一度よく整理しておきましょう。
次の図を見てください。
議論①で述べたように、現在の憲法9条は明らかに軍縮寄りに偏りすぎています。
一方で、現在の実態は憲法9条が掲げている建前よりもかなり軍拡寄りです。
つまり、建前と実態に乖離があるわけです。
この乖離を認めないまま、単純に憲法を改正してしまうとどうなるでしょうか。
乖離の存在を許したまま、建前の方を軍拡寄りに大きくスライドさせるのですから、実態の方も現状よりも軍拡よりに大きく動いてしまう可能性が出てくるわけです。
以上から、憲法を改正するのであれば、少なくともその前に、まず現状において憲法違反をしているということを認めるべきだと考えられます。
では、憲法9条の改正自体は行うべきでしょうか?
建前と実態に乖離がある事自体は良いことではないので、憲法改正自体は行われるべきである、というのが一つの考え方です。
一方で、たとえ現状において憲法違反をしていることを認めたとしても、憲法改正という大きな変化を起こしてしまうと、何が起こるかわからないという危険性もあります。
建前と実態に乖離があるとはいえ、現状なんとかなっているのだから、そのままにしておけばいいという考え方もあるわけです。
ある意味でこれは最も現実的な考え方であると言えるでしょう。
どちらの方がより良いのかは、恐らく誰にもわからないでしょう。
憲法改正というのは、ある種の賭けであるわけです。

議論③ 憲法の線引きはどの程度明確であるべきか

憲法9条を改正する場合、改正後の条文はどのようなものであるべきでしょうか。
もう一度現在の憲法9条を振り返っておきましょう。
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
この条文には様々な問題があります。
例えば、「陸海空軍その他の戦力」とは何でしょうか?
もちろん、通常の日本語として考えればその意味は明らかです。
しかし現在、日本政府は、この表現は自衛隊の存在を含まないものと「解釈」しています。
議論③で述べたように、そのように解釈していること事自体問題なのですが、ここでは一歩引いて、少し違う見方をしてみましょう。
言い方を変えれば、「陸海空軍その他の戦力」という憲法の条文は、自衛隊の存在を含まないものと解釈されてしまうような条文であるわけです。
ですから、もし、憲法9条が掲げている(過度に軍縮寄りの)建前を実際に守らせようと思えば、「陸海空軍その他の戦力」という表現ではダメである(自衛隊の存在を排除できない)わけです。
憲法改正に話を戻しましょう。
例えば、自民党が掲げている「日本国憲法改正草案」では、改正後の9条は次のようになっています。
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

(国防軍)
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に審判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保障されなければならない。

(領土等の保全等)
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
「陸海空軍その他の戦力」という表現は「国防軍」という表現に変わっています。
この変化は、軍拡寄りの表現になったという切り口で捉えられがちですが、ここでは表現が明確になっているかという切り口で見てみましょう。
つまり、憲法をこのように改正したとして、「陸海空軍その他の戦力」という表現に自衛隊が当てはまらないと解釈されてしまったように、日本の軍隊が、改正後の9条の「国防軍」に当てはまらないと主張されてしまうことはないでしょうか。
もしそのように主張されてしまえば、その時の日本の軍隊は、この改正後の憲法の制約をも受けないことになってしまうわけです。
もっと問題なのは、「自衛」という概念です。
言わんとしていることとしては、「国防軍」は、侵略などには使わず、自衛のためだけに使うということでしょう。
しかし、何をもって「自衛」なのでしょうか。
例えば、Aという集団がBという集団を攻撃したとします。
これは「自衛」でしょうか、「侵略」でしょうか。
「攻撃」をしているのだから、侵略だ、と言われるかもしれません。
しかし、例えば、Aは民主的な国家、Bはテロ組織と呼ばれていて、BがAの国民に対して非人道的な行為を繰り返していても同じことが言えるでしょうか?
逆に、Cという集団がDという集団に侵略をしようとする時、「我々はDを侵略するぞ」と言って侵略を始めるでしょうか。
Dを悪者にして、「これはDから自分の身を守るために仕方なくやっているのだ」といった類の建前をとることも考えられるでしょう。
実は、「自衛」と「侵略」という2つの概念は、非常に線引きの難しいものなのです。
憲法を改正するなら、この点もしっかり考えておかなければなりません。
つまり、いくら憲法の条文に「この軍隊は自衛のためにしか使えません」と書いていたとしても、いくらでも事実上それに背くような解釈が可能になってしまうわけです。
この国には、現在の憲法9条を、自衛隊の存在を認めるものと解釈してしまったという<bb>「前科」</bb>があるのです。
したがって、憲法を改正するなら、改正後の条文においては、「軍隊」や「自衛」といった抽象的表現には注意を払う必要があります。
具体的には、それらがどう定義されるのか(何を意味するのか)を、条文が長くなっても良いので、しっかりと明記する、ということが必要でしょう。
たとえば、「自衛」という概念の線引きの仕方の一つのアイディアとして、軍隊を自国の領土・領海・領空から出さないという類のものがあります。
他国に立ち入らなければ「侵略」のしようがないというわけです。
もちろん、このアイディアにも問題はあります。
例えば、何をもって自国の領土・領海・領空とするかという問題です。
他国を侵略するにあたって、「そこは本来我が国の領土だ」などと言い張れば、この線引きに抵触しないことになってしまいます。
また逆に、自国が「正しい」行動をしている場合、領土外のことに関しては何が起ころうと手出しできないということになってしまうという問題もあります。
いずれにせよ、このような明確な線引きをするための創意工夫は、憲法を(軍拡寄りに)改正する場合、必ず考える必要があるでしょう。

議論④ 憲法の無効化について

最後に、憲法の建前と実態の乖離の問題について、別のアイディアを紹介しておきましょう。
そのアイディアとは、日本国憲法そのものを、憲法として効力を持たないものとみなす、というものです。
そもそも、議論②で述べた憲法の建前と実態の乖離は、非現実的な9条を持つ日本国憲法のような憲法を有効なものとみなしている事が問題で起きていると考えるわけです。
そこで日本国憲法の効力を認めないことにすれば、当然、自衛隊の存在は憲法違反にはなりません。
このアイディアは、筋論としては何も問題点がないというところにポイントがあります。
一方で問題点もあります。
日本国憲法を無効とみなすのであれば、憲法はどうするのでしょうか。
これに対しては、以下の2つの方法が考えられます。
  1. 日本国憲法に代わる新憲法を制定する
  2. 新たな憲法を持たず、立憲政治をやめる
これらのどこが問題なのでしょうか。
まず1つ目の、新憲法の制定についてです。
これは筋論としては何も間違っていないのですが、何度も同じ手を使えてしまうというところに問題があります。
日本国憲法は、9条に問題があるので憲法として認めることをやめ、新憲法を制定したとしましょう。
ここまでは何の問題もありません。
しかし、新たな憲法にまた何か問題が出てきた時、同じようにこの新憲法の効力を認めないことにしましょう、となってしまわないでしょうか。
このように、憲法を無効とみなして新憲法を制定するということが繰り返されてしまうと、憲法がその存在意義をなくしてしまうわけです。
2つ目の立憲政治をやめるというというアイディアはどうでしょうか。
この議論は、当然、憲法という物自体の存在意義がどこにあるかという議論に行き着きます。
立憲政治のメリットはどこにあるのでしょうか。
それは、急進的な変化に対する歯止めになるという点が大きいでしょう。
単に民主的な政治を行うだけであれば、その時その時の過半数の民意を政治に反映させればいいわけですから、憲法は必要ありません。
しかし、民意そのものが、一時的に「ある種の普遍的な価値観」に逆らうような決定をしようとする時、防波堤になるのが憲法の役割であるわけです。
実際の政治においては、憲法はもっと大きな役割を果たしています。
それは、見せかけの過半数に左右されないルールとしての役割です。
現在の「民主政治」においては、多くの場合、選挙区制度のような、意図的に議会に多数派を作る選挙制度が敷かれています。
これは政局を安定させるために発展してきたものでしょうが、結果的に、議会の過半数が、実は民意の半数未満の支持しか受けていないということは往々にしてあるわけです。
こういう状況においては、憲法の存在意義は非常に大きなものになります。
以上のことを考えると、憲法をもつこと自体はやめない方がいいと思われます。
結局のところ、日本国憲法そのものを捨て去ることはやめるべきでしょう。